はれ

とうとう母が離婚を決意した。

 

私は前々から父親とは確執があってあまり仲は良くなかったし、父は二人目の父でもあり幼い私が選んだ人(というか、母にお父さんになっていいよとGOサインを出した)でもあるが故に後悔が凄くあってわがままではあるが母には早くも離婚して欲しく、何度か言ってたりしたが母は父が好きだったので当たり前だが断られてた。

 

そんな母が離婚を決意した理由は、父の何気ない会話の何気ない見下しだった。

母は決断を白か黒かでしか決めない人なので、母の逆鱗というか一本あった父が好きと言う線をプツンと父自ら何も考えず発した言葉で切り、今じゃ親たちは会話をしなくなり母は事あるごとに離婚したいと言っている。

 

直ぐに離婚に切り出せないのは、高校受験がある弟の為。

弟も父に対しては、尊敬とかそう言うのがなく何というか年上の友人として接してる所があり

"父親"と言う面では不信感を抱いてはいる。

 

私は父には父親らしい事をしてもらった記憶が無く、思い出せる父との思い出は二つあって

一つは、市の小学生ドッチボール大会にて父は審判をやっており私は選手だった。

父は、審判という公平な判断をする立場でありながらもドッチボールで公平な判断をせず私や仲間が異議を申し立ても、私たちのチームが悪いの一方。

父が絶対肩を持つのはドッチボールが上手い男の子達だった。私はそれが許せず父に日中異議を申し立てたりしていたら、本気で怒られ小突かれたし、むかついて殴り返したりと小学校の体育館で揉めた事があった。

(弟も別の年にドッチボールの練習にて審判の父と揉めてたので血は争えないと思った)

 

二つ目は、私が中学生に上がってから父は仕事が不安定になった。いきなり仕事を辞めてきたり半年もニート生活をおくったり。

母の仕事だけでは生活成り立たない状態でもあり、母方の祖父母に助けられながらも生活をしていてた。

父は、働けない精神状態や身体の問題は無くいつでも働ける状態でありながらも働かなかった。

父は母方の祖父母にお金の援助をして貰ってることに対し感謝の言葉は言っていたが本当に思っていたのかも分からない。

何故、父方の祖父母に援助を頼まないのかずっと私は問いただしてきたりしたが、うやむやにされたり逆ギレしたりととんでもないクソを発揮していて、後から聞いた話では父方祖父母の前ではいい子ぶりそんな話を一切しないそうだ。

中学3年生だった私は、受験で高校を決めていたが父に高校は行けないかもしれないと一度言われたことがあった。

理由は「お金がない」から。

お金がないのは、貴方が働かないからでは?と泣きながら怒ったり訴えたりしが父には響かなかった。

この時、私はこの人にとって私は血の繋がりが無いから何とも思わないんだと感じてからは父には一切の信用が無くなり家にいても不愉快な存在にしか見えなくなった。

私は奨学金を最大まで借り、高校短大と難なく卒業出来たが初めての就職した所で、メンタルをやられて今はフリーターで体調を戻しながら働いている。

休む間も無く働かなければ、父みたいになる様な気がして家にいても気が気では無いので。

 

ここ最近の父のクソは増えつつあり、父方の祖父が亡くなってから祖母から「お前(私)は血の繋がりが無いので親族間の話(お金関連)には入るな」と言われ、それを父に言った所"とりあえず"怒ってはくれたが何か祖母に行動や態度を示したかと言うとはそれは無かった。

父方親戚からも、私は要らない人間なのでアウトオブ眼中で唯一血の繋がりのある弟だけが輪に入れたが、私や母が入れない状態を分かっていたので弟も親族間には嫌悪していた。

 

母がやっと離婚を決意してくれた事で、私のこの16年間程のクソみたいな人生やクソみたいな親族から離れられるのかと思うと清々すると思ったが、弟の「父に対して尊敬や信用は無いが、年上の友人の様な謎の情があり今離婚されたら自分がどんなメンタルになるか分からないが離婚しないで欲しいと言う気持ちは一切無くただただこの"情"で父の今後が心配」と言ってた。

お前マジで中3か?って思った姉だが本当に弟は頭がいいので父のせいで学ぶ機会が失われたら可哀想だなとは思うしまだこのクソな期間が続くのかと思ったり。

 

今私は母と弟の板挟み状態である。

 

私のメンタルはあまり今よく無い。とってもよく無い。

逃げ出したいが逃げ出すとこの二人のケアをしてあげれない。

所詮家族は他人ではあるが、友人よりは深い付き合いではあるので守ってあげなければならない気もする。

そんな、使命感は捨ててしまえば楽なのに出来ないのでもうお疲れちゃん。